ファウルボール訴訟について(その1)
第1 はじめに
先日、「札幌ドームで2010年8月、プロ野球を観戦中にファウルボールが当たり右目を失明した女性が、北海道日本ハムファイターズなどに計約4660万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、5回目の和解協議が26日、札幌高裁(佐藤道明裁判長)であったが、協議は決裂し、5月20日に判決が言い渡されることになった」というニュースを目にしました。
原審の札幌地裁では、平成27年3月26日(平成24年(ワ)第1570号:裁判所ウェブサイト掲載)に、球場に設けられていた安全設備等は,原告席付近で観戦する観客に対するものとしては通常有すべき安全性を欠いていたとして,工作物責任(民法第717条第1項)及び営造物責任上の瑕疵(国家賠償法第2条第1項)を認定し,原告の被告ら(試合を主催し、本件ドームを占有していた株式会社北海道日本ハムファイターズ、指定管理者として本件ドームを占有していた株式会社札幌ドーム及びドームを所有していた札幌市の三者)に対する損害賠償請求を一部(4195万6527円)を認容する判決が出されていますが、一方で、平成23年2月24日には、仙台地裁において、同じくプロ野球の試合の観戦中,ファールボールにより観客が右眼眼球破裂等の傷害を負い、当該球場に民法第717条第1項及び国家賠償法第2条第1項にいう「瑕疵」が認められるか否かが問題になった事案について、プロ野球観戦に伴う危険から観客の安全を確保すべき要請と観客の側にも求められる注意の程度、プロ野球の観戦にとって本質的要素である臨場感を確保するという要請の諸要素の調和の見地から検討することが必要とした上、球場に設置された内野席フェンスの構造、内容は、球場で採られている安全対策と相まって、観客の安全性を確保するために相応の合理性があるといえるから、「瑕疵」は認められないと判断した事例(平成21年(ワ)716号:裁判所ウェブサイト掲載)があります。
そのため、札幌高裁がどのような基準により、どのような結論とするのか注目されるところです。
そのため、札幌高裁がどのような基準を立てて、具体的にどの事実をどのように評価して結論付けるのか、注目されるところですが、札幌高裁の判断については、判決が公表された後に、改めて検討するとして、それまでの間、札幌地裁と仙台地裁の結論の差異について簡単に整理してみたいと思います。簡単にと言いながら、いつもながら、札幌地裁のポイントの整理だけで長くなってしまったため、仙台地裁のポイントの整理は次回と致します。
第2 札幌地裁の判断
1 「瑕疵」の判断基準
「瑕疵」とは、「工作物又は営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これについては、当該工作物又は営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して、具体的かつ個別的に判断すべきである。」
2 「瑕疵」の有無を判断する要素として認定された事実及び評価
① 打者の打ったボールが観客席に飛来することは頻繁にあり(ルール上、外野席に飛来してホームランとなる場合と内野席に飛来してファウルとなる場合とがある。)、一切の安全設備がなければ、全ての観客席に打球が飛来する可能性があるもので、観客に硬式球であるボールが衝突すれば、死亡や重大な傷害を負う危険もある(特に、ボールが幼児に衝突した場合は、極めて危険である。)。
② 観客がプロ野球の球場を訪れて観戦するに至る経緯や動機は多種多様であって、性別を問わないし年齢層も幅広く、野球自体には特段の関心や知識もないが、子供や高齢者の付添いとして訪れる者や、初めて球場を訪れる者も相当数存在するものである。特に、招待された子供の付添いで訪れる者の中には、原告のように、自分自身は野球に特段の興味はなく、野球のルール等を知らない者が含まれていることは明らかである。
③ スポーツ観戦という面では、野球のほかにもサッカーなどのプロスポーツが人気を得ているが、プロ野球の観戦が、他のプロスポーツの観戦と比べ、格段に危険性の高いものであるとの一般的認識があるわけではない。
④ 打球の飛来により生じる危険を避けるためには、投手が投球動作に入ってから打者が打撃を行い、その行方が判断できるまでの間、必ずボールの所在を注意深く見ていなければならないことになるが、プロ野球の試合を観戦する観客の態度として、このような実態があるとは認められない(映像をみても、バッターが打つ瞬間の観客の視線は、全員が同一方向を向いているわけではなく、横を向いている者、下を向いている者、子供の方を見ている者などもおり、さらには、バッターが打つ瞬間にも、通路や階段を移動中の者も見受けられる。)。
⑤ プロ野球の球場では、観客にファウルボール等の打球が当たる事故が多数発生しており、本件ドームでも、毎年、観客に打球が当たる事故が多数発生し、救急搬送される者もおり、骨折等の重大な傷害を負う者もいる。
⑥ プロ野球の試合の観戦が、重大な傷害等を負う可能性があり、被告らが主張するような高度の注意義務を果たす べきであるものとして、広く国民一般に知られ社会的に受け入れられているとはいえないし、プロ野球の球場を訪れる観客においても、周知され受け入れられているとはいえない。
⑦ 被告らは、観客がバッターのボールを打つ瞬間を全く見ていないことを前提として安全設備を設ける必要はない などと主張するが、上記のとおり、観客全員が、バッターがボールを打つところを100パーセント見ているとはいえないのであるから、プロ野球の観客は、確 率は小さくても、たまたま見ていないときに打球が自分に向かってきた場合は、ボールを避けることができないのであって、観客がバッターがボールを打つところを見ていない可能性が全くないことを前提とした安全設備の設置管理には、むしろ瑕疵があるというべきである。
⑧ 視認性や臨場感を優先する者の要請に偏してこれらの設備や対策により確保されるべき安全性を後退させることは、プロ野球の球場の管理として適正なものということはできない。
⑨ 防球ネットを設置しないことにより、視認性や臨場感を高め、観客を増加させているのであれば、これによって多くの利益を得ているのであるから、他方において、防球ネットを設置しないことにより、ファウルボールが衝突して傷害を負った者の損害を賠償しないことは、到底公平なものということはできない。
⑩ 本件ドームの1塁側内野席前に設けられているグラウンドと観客席との間にあるラバーフェンスについてみると、本件座席付近の前に設置されている部分のグラウンド面からの高さは約2.9メートルであり、その上部に防球ネット等の更なる安全設備は設置されていなかった(なお、かつて上記フェンスの上部に設置されていた、本件座席付近の前でグラウンド面からの高さが約5メートルとなる防球ネットは、平成18年、被告ファイターズが要望して被告ドームが撤去したものであるが、上記防球ネットが設置されていたとしても、本件打球の本件座席への飛来を遮断することができなかった。)。
⑪ ドームにおいてとられていた他の安全対策は次のとおり。
ⅰ)観客との間で適用される試合観戦契約約款には、観客はファウルボール等の行方を常に注視し、自らが損害を被ることのないよう十分注意を払わなければならない旨規定されており、同約款は被告ファイターズのホームページ上で公開され、誰でも閲覧できる状態であったほか、本件ドームにおいても入場ゲート内側受付カウンターの横に同約款が定められている旨掲示されており、希望があれば警備担当者等により同約款が交付されるようになっていた。
ⅱ)試合観戦チケットの裏面には、「注意事項(必ずお読みください)」として、観客がファウルボール等により負傷した場合、応急処置はするがその後の責任は負わないので、ボールの行方に十分注意するように求める旨記載されていた。
ⅲ)本件事故の当日には、本件ドーム内の大型ビジョンにおいて、午後ⅲ時の本件試合開始前、打球の行方に注意することを求める内容の静止画が表示されていた時間があり、本件試合1回表終了後の攻守交代時、ファウルボールに注意するよう求める動画が表示された。
ⅳ)本件事故の当日、場内アナウンスによって、午後1時15分頃、1塁側・3塁側内野最前列の防球ネットを外しており、ライナー性の鋭い打球が飛んでくることがあるので、ボールから目を離さず打球の行方には十分注意するように求める旨、また、本件試合1回表終了後の攻守交代時、ライナー性の鋭い打球が飛んでくることがあるので、打球の行方には十分注意し、子供連れの観客は特に注意するように求める旨放送された。
⑫ ファウルボールが約2秒程度のごく僅かな時間で観客席に飛来すること。
⑬ 被告ファイターズは、安全対策として、本件事故当日、観客席に入りそうなファウルボールが放たれた際、即時に警笛を鳴らすための係員を本件ドームの1塁側内野席に22名配置しており、本件事故前に内野席にファウルボールが飛来して警笛が鳴らされたことが6回あった。
⑭ 打球の行方を見失った場合にその衝突を回避するためにとる必要がある具体的な行動の内容(即座に上半身を伏せる(ただし、これでは、自分自身の安全はある程度確保できても、子供等を同伴している場合、子供等の安全を守ることはできない。)など)を十分に周知して意識付けさせる必要があったというべきであるが、上記⑪のⅰ)ないしⅳ)の措置ではこのような周知が果たされていたとはいえない。
⑮ 内野自由席で観戦することにした時点や本件ドームに入場して本件座席を選択した時点に先立ち、被告ファイターズが、本件座席付近の観客席について、投手の投球動作から打者の打撃に至るまでの間に一旦目を離してしまうと、ごく僅かな時間のうちに高速度の打球が観客席に飛来してくる可能性がある旨を具体的に告知していたなどの事情は認められない。
⑯ 本件ドームに設けられている1塁側内野席前のフェンスの高さは、上記各プロ野球の球場の内野席前に設置されているフェンスないし防球ネットの高さに照らして特段見劣りするわけではない上、建設指針(公益財団法人日本体育施設協会が作成した「屋外体育施設の建設指針(平成24年改訂版)」)の基準をおおむね満たしている。
⑰ 他のプロ野球の球場と比較すべきは、フェンス等の高さという一要素ではなく、観客席に打球が飛来する危険がどの程度防止されているかであり、これは、グラウンドの形状(ファウルゾーンの面積や形状を含む。)、グラウンドやフェンス等と観客席との位置関係、観客 席自体のグラウンド面からの高さ、観客席内の段差ないし傾斜、構造、形状等により大きく左右されるものであり、これらの諸要素を総合的に考慮することにより、設置されるべき安全設備及び実施されるべき安全対策の内容が検討される必要があるから、フェンス等の高さのみを比較した結果を重視できるものではない。
⑱ 建設指針に球場一般に関するものとして一定の合理性があるとしても、法令等の根拠に基づくものではないし、プロ野球の球場を念頭に置いているものでもなく、具体的にどのような根拠に基づいて導き出されたものであるのかも明らかではないから、これを満たしていることで直ちにプロ野球の球場としてその安全性が認められることにはならない。
3.結論
本件ドームでは、本件座席付近の観客席の前のフェンスの高さは、本件打球に類するファウルボールの飛来を遮断できるものではなく、これを補完する安全対策においても、打撃から約2秒のごく僅かな時間のうちに高速度の打球が飛来して自らに衝突する可能性があり、投手による投球動作から打者による打撃の後、ボールの行方が判断できるまでの間はボールから目を離してはならないことまで周知されていたものではない。
したがって、本件事故当時、本件ドームに設置されていた安全設備は、ファウルボールへの注意を喚起する安全対策を踏まえても、本件座席付近にいた観客の生命・身体に生じ得る危険を防止するに足りるものではなかったというべきである。
そうすると、本件事故当時、本件ドームに設けられていた安全設備等の内容は、本件座席付近で観戦している観客に対するものとしては通常有すべき安全性を欠いていたものであって、工作物責任ないし営造物責任上の瑕疵があったものと認められる。
(続く)