所属弁護士コラム

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なぜ悪い人を弁護するの?

  • 牧野誠司
  • 寄り道コラム

私がコラムを更新しないと、武田弁護士の中国法務の小窓が1回で終わってしまう可能性がありますので、私も頑張って更新します。 

さて、表題の「なぜ悪い人を弁護するの?」ですが、これは居酒屋で飲んでいる弁護士が聞かれる質問トップ3に入る質問ではないでしょうか。
ですので、この質問に対して私が居酒屋で話す内容をここに書いておきたいと思います。
この問題は、刑事事件でも、民事事件でも問いかけられる問題なのですが、分かりやすく、刑事事件を例にとって話してみます。 

なぜ悪い人を弁護するか、それは、「その人が本当に悪い人なのかどうか、また、悪い人だったとしてどのくらい悪い人なのかは、神様じゃない我々人間には分からないから」だと思います。真実や、正しい法や道徳は、神様じゃない人間には簡単には分からないのだから、その人(依頼者)の立場に立ってその人を守ってあげることが必要だという考えなのだと思います。 

分かりにくいと思いますので、具体例を少し。私たちは、弁護士になる前に、司法研修所というところでトレーニングを積んでいますが、その司法研修所における刑事弁護の授業の中で、ある刑事事件(実際に過去に発生した刑事事件を少し修正したもの)の記録を読まされました。
その刑事記録(警察の捜査結果を書面化したもの)を見たら、容疑者のAさんが、完全にその傷害事件の犯人としか思えない内容になっていました。
それは、「警察が作った証拠だからAさんが犯人に仕立て上げられている」というようなものではなくて、警察が集めた客観的証拠からすれば、どう見てもAさんが犯人であろうと思えるような内容になっていました。
その記録を読んだ時点では、だれも、Aさんが犯人であることを疑わなかったと思います。
おそらく、この事件についてマスコミ報道があったとしたら、マスコミはAさんが犯人と考えられるという報道をしたと思います。 

しかし、その後に、刑事弁護の教官は、さらにもう1冊の記録を私たちに配布しました。
その記録は、その事件についての追加捜査の結果をまとめた刑事記録でした。
その追加の刑事記録を読むと、驚いたことに、今度は、Aさんが犯人だとはとても考えられなくなってしまったのです。
その新しい刑事記録の方には、Aさんが犯人であるとすれば成り立たないような事実関係が客観的証拠とともにつらつらと記載してあるのですが、それが、前の刑事記録の内容とも特に矛盾しないわけです。
つまり、ひとつの事実関係を、ある側面から見ればAさんが犯人に違いないと考えられるわけですが、その事実関係を別の側面から見れば、Aさんが犯人とは思えなくなるわけです。 

この、「『シロ』を立証するもう一つの側面の事実関係」まで警察や検察が調べて公開してくれたり、マスコミが調べてくれたりすれば問題ないかもしれませんが、実際のところは、警察や検察、そしてマスコミは、その立場上、「『クロ』を立証する側面の事実関係」を集める方に動きがちです。
そうすると、もう一つの「『シロ』を立証する側面の事実関係」を誰かが頑張って集めて裁判所の前に示さないと、真実は明らかになりません。 

そして、我々弁護士が、はじめに容疑者と会うときは、だいたい容疑者は逮捕勾留されていて、容疑者を『クロ』だと立証する側面の事実関係の捜査がどんどん進んでいて、マスコミも、その『クロ』の事実ばかりを報道しています。
そうすると、弁護士は、『クロ』(悪い人)を助ける人だ、というように見られてしまうわけですが、弁護士は、そこから、その人の「『シロ』を立証する側面の事実関係はないか」と精査し、そういった事実関係を掘り起こして、裁判所に提示するわけです。
その結果、真っ白(完全な無罪)になる事件だってあるわけです。
最近どんどん明らかになってきている冤罪事件などはまさにそれで、世間が「なぜあんな悪い奴の見方をするんだ」という中で、「シロの側面の事実関係」を頑張って調査してきた弁護士その他の支援者と本人の頑張りで、真っ黒だったものが真っ白になることもあるわけです。 

「でも、明らかに、だれがどう見ても悪い人まで守る必要ないんじゃないですか?」と言われるかもしれませんが、上に書いたように、最近明らかになってきている冤罪事件だって、事件当時は、誰が見ても(弁護士が見ても)真っ黒の事案であった可能性もあります。
少なくとも、私が司法研修所で見た上記の1冊目の刑事記録は(当時、完全な素人ではなく、司法試験に合格したプロの卵である我々が見ても)真っ黒でしたが、それが実はほぼ真っ白な事案だったわけです。
ですので、我々弁護士にとっては、どう考えても真っ黒と考えられる事案でも(自分が裁判官なら黒の判断を出すだろうなという事案でも)、「僕らは神様じゃないんだから真実は分からない」という謙虚な気持ちで、淡々と、「シロの側面の事実関係」の調査に努めなければならない、という使命を負っていることになります。 

分かりやすくいうと、検察側や警察側が綱引きの綱の片方を引っ張っていて(というと怒られるかも知れませんが、分かりやすくいうためですのでご容赦を)、もう片方を弁護士が一生懸命引っ張った結果、綱が落ち着いた位置(それは裁判官が見極めます)が、「真実」に一番近いだろう、という考え方なのだと思います。
現在の裁判制度はそのような綱引きを前提にしています(これを難しい言葉で当事者主義といいます)。
そうであるのに、片方の綱を引っ張らないといけないはずの弁護士が、綱引きの結果がどうなるのかも本当はまだ見えてないくせに、「まぁ、これはしょせんこのあたりで落ち着く事案だろう」と神様や裁判官のように判断して、最初から綱を引っ張らないと、結局綱はクロの方向にどんどん引っ張っていくわけですから、そんなことは許されないわけです。
真実がどこにあるかどうかは分からないという謙虚な気持ちで、とにかく綱を『シロ』の方向に引っ張らないと、真実は炙り出せないということなのです。 

この点について、ときどき、「明らかな罪を否認する容疑者に対しては、弁護士も、無駄な否認をしてもマイナスになるだけだと容疑者をちゃんと説得しなければなりません」などということを言われる方もいらっしゃいますが、弁護士の仕事は、上に述べた理由から、まずは「綱をシロに向かって引っ張ること」であって、シロを主張する容疑者に対し、クロにしかならないと「説得」することではありません(しかも、そんな説得は、警察側が繰り返しやっているでしょう。
自白した方が罪が軽くなる、というのは取り調べの際の常とう句です)。
綱を引っ張りきったうえで、やっぱりクロにしか見えないというときは、それを容疑者に話すことも考えられますが、まずは、綱をシロに向かって引っ張ることを肝に銘じておかないとえらいことになるわけです。
たとえば、「弁護士さんも私のことを信じてくれなかった・・・。
もうあきらめて嘘でも自白して情状を軽くした方がいい」と考えられてしまうケースもありうるのです。 

そして、この理屈は、民事事件でも基本的には同じで、自分の依頼者の主張する方向に一生懸命綱を引っ張らないと(つまり、その方向での調査や裁判所への報告をしっかりとしないと)、真実は明らかにならないという考えで、私は事件に臨んでいます。
実際、初めは証拠がなくて信用してもらえないだろうなという依頼者の言葉が、弁護士の調査で真実だと裏付けられたケースも多々あります。 

加えて、以上の例は、「真実」つまり「事実関係」についての議論ですが、実は、「真理」つまり「法や道徳」についても、同じような綱引きが行われなければなりません。
その綱引きの結果、過去には「違法」「不道徳」と思われていたことも、現在では、「適法」「道徳に反しない」と考えられていることもあるのです。 

以上が、「なぜ悪い人を弁護するの?」という質問に対する私の回答で、まとめると、「悪いと言われている人が本当は悪くない(あるいはみんなが言っているほどは悪くない)ケースもある、つまり、真実や真理は神様じゃない自分たちでは簡単には分からないということを僕らは知っているから、弁護する(反対側に綱を引っ張る)のです」ということになります。
正直なところ、この理屈では割り切れない難しい事案も多々あるのですが、「基本的な回答」としては、私個人としてはこのような回答をするようにしています。
「こういう場合はどうなんだ!それでも弁護するのか!」とかいうご批判はたくさんあると思いますが、あくまで一般論としての「基本的な回答」ですので、ご容赦ください・・・。
あ、今気になって、ネットで調べたら、日弁連のページでも、同じような回答になっていますね。 

などと、偉そうなことを書きましたが(しかも長いわ・・・)、私は、現在は、諸事情から、刑事弁護の受任は原則的に控えております・・・(緊急対応が必要な案件など、例外的に受任させていただくことはありますが)。
ほんとにどうもすみません・・・。
もちろん、当事務所としては刑事事件の受任もさせていただいており、他の弁護士による対応は十分に可能です。 

しかし、長くなってしまいました・・・。
それに、題材が重すぎました・・・。
今後はもっとライトな話題で短くしたいです。 

それでは、武田先生、中国法務の小窓②を楽しみにしています。