クレーマークレーマー
- 牧野誠司
- 寄り道コラム
新年明けましておめでとうございます。皆様今年度もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
昨年は、武田弁護士のコラムが追加されて(それでも未完のようですが・・・)ほっと一息ついたところで終わりを迎えました。
この武田弁護士のコラムは、小窓というよりはパンドラの箱とでも言うべき重厚な内容で、所内の弁護士でもなかなか全部読めてないのではないかと思いますので(武田先生、ごめん・・・)読了してくださった方には私の方から感謝状をお送りしたいと思います。ご一報ください。
ただ、内容は、学識と実務知識に裏付けされた大変面白いものだと思いますので、皆様ぜひご一読ください。
さて、今年最初の私のコラムは、標題を見て「クレーマーへの愚痴か?」などと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、違います。正しくは、「クレイマークレイマー」ですね。
離婚裁判を題材にしたアメリカの映画で、若き日の(といっても中年にはなっていますが)ダスティンホフマンとメリルストリープの映画です。
我々のひと世代、ふた世代前の皆さんはご存知かと思いますが、名作ですよね・・・(涙)。
最近はそれなりにインパクトのある作品じゃないとアカデミー作品賞は取れない傾向にありますが、かつてはこういう地味~な、しみじみした映画がアカデミー作品賞を受賞してたんですよね・・・。
クレイマークレイマーという題名は、「原告クレイマーVS被告クレイマー」の意味です。
アメリカでは(多分イギリスでもそうじゃないかと思いますが)、日本のように、訴訟事件に対して「『宴の後』事件」などというように、事件名を付けるのではなく、原告と被告の名前で訴訟事件を呼ぶことが多いのですが、それにちなんで、この映画では、クレイマー夫婦の離婚事件を、「クレイマーVSクレイマー」と呼んでいるわけです。
つまり、単に「離婚事件」などと言うのではなく、同じ苗字同士の訴訟事件名で離婚事件を示唆するという、ちょっとしゃれた離婚事件の呼び方、ということでしょうか。
というわけで、この映画は、ミスタークレイマーとミスクレイマーの離婚事件を題材にしているのですが、他方で、実にアメリカらしい先進性で、実に30年も前の映画なのに、「女性の社会進出」というテーマも織り込むことで、「女性が夫だけじゃなく、子供まで置いて家を出てしまう」というシチュエーションからスタートして話が進んでいきます。メリルストリープ演じる奥さんが、自分だけで出て行ったのに、後で子供の親権を争うわけです。
しかし、これは実は日本ではあまり出てこない状況でして、私がこれまで弁護士として見聞きした数々の離婚案件でも、このように、女性が、夫のみならず、小さな子供まで置いて出て行ってしまうというのは非常に稀です(良い悪いは全く別にして、単に少ない、という意味です)。
だいたい、男が一人で出ていくか、女性が子供を連れて出ていくか、というケースが多いですね(そもそも、親権を取得したいというのであれば、とにかく子供のそばにいることが大切ですので、子どもを置いて出ていくというのは親権を取得するうえでとてもまずい選択なのです。
なので、もしメリルストリープが別居前にうちの事務所に相談に来ていたら、『メリルさん、いや、ミスクレイマー、親権がほしいなら、仕事が大変であろうがなんであろうが、とにかく子供さんを一緒に連れて行きなさい』とアドバイスしたと思います)。
さて、そういう、ありそうで、あまりないシチュエーションを題材にしたクレイマークレイマーですが、離婚裁判という制度の限界や矛盾を示唆し、また、夫婦の幸せと子供の幸せのあり方を考えさせるとともに、日常的な幸せのありがたさや、本当の意味での(自分本位でない)強さや優しさを浮かび上がらせる内容になっており、思い出すだけでジーンと来てしまいます。
まだご覧になっていない方は是非とも一度ご覧いただきたいと思います。
古い映画で、上記のとおりあまりないシチュエーションなのですが、そのテーマは普遍的かと思います(ただ、実際は、「子供の幸せ」という一つの問題を取ってみても、見る角度や立場によって全然考えが変わってきますので、本当に難しいのですけれど・・・)。
あ、一応、この映画と日本の法制度の大きな違いを指摘しておきますが、日本では、この映画ほど、「収入の多い少ない」が親権者の決定に及ぼす影響は乏しいです。
「収入が少ないから離婚したら親権は取れない」などと考えている方は、だいたい誤解ですので、専門家のアドバイスを聞いてください。
収入の金額が親権で考慮される割合は、非常に低いというのが、実務家の感覚です。
この点だけは気を付けないと、この映画が非常に間違った情報を世間に伝えて、正しい選択の妨げになってしまう可能性もありますね。
最後に一言ですが、この映画でもあんまり弁護士という職業は、裁判という制度とともに、さほど魅力的な存在としては描かれていなかったと思いますが(いや、そうでもなかったかな・・・。
また見直します)、日本では、離婚については調停という制度もありますし、弁護士も、むやみに紛争を拡大したり、相手方を悪く言ったりするばかりではなく、基本的には和解による解決を重んじる傾向にあるのではないかと思います。
その意味で、最近、京都弁護士協同組合が、共同開発した豆腐のネーミングとして、「もめんなよ」という名前を候補に挙げていたことについては、大変誇らしく思います。
この名前思いついた人、天才ですね(結局、この豆腐の名前は、「やっこさんは白だな」というこれまた天才的な素晴らしい名前で決定しました。
詳しくはウェブで検索ください。)。
やっぱり、基本的には、もめない方がいいですからね・・・。
しかし、勝負となると、勝つことも大切なのですが。
というわけで、皆様、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。