所属弁護士コラム

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ハリルホジッチさんとデータ重視

  • 牧野誠司
  • 寄り道コラム

先日、ハリルホジッチ日本代表監督が、「日本代表選手の何人かの体脂肪率はちょっと高い。
もっとフィジカルを高めるべき。」というような指摘をして話題になりました。そして、宇佐美選手や太田選手や興梠選手は、体脂肪率が比較的高い選手としてピックアップされてしまうという飛び火騒動まで発生し、それもまた話題になりました。

このニュースを聞いたときに、私は、「なんと素晴らしい監督なんだ!そう、やっぱりデータをきちんと見て、客観的・科学的に分析可能なところはしっかり客観的・科学的に分析すべきで、そのようなことを徹底するのが世界のスタンダードなんだろう。ふむふむ。」と思って感心していました。
メジャーリーグだってサイバーメトリクスでデータ重視になっているのだから、サッカーもそうあるべきだ、なんて思っていました(そして、こっそり「しかし、太田選手とか、興梠選手って、めっちゃ細く見えるけど他の代表選手に比べてたら脂肪率高いのね。
まぁ、それでも十数%って、普通の人から見たら十分体脂肪率低いんだけどね。」なんて思っていました)。 

しかし、このニュースには続報があり、ハリルホジッチ監督が上記のような個人情報の流出を謝罪したというのは想定の範囲内だったのですが、私がびっくりしたのは、太田選手や吉田選手が、公開された個人の体脂肪率が「大きく間違っている」、「デブキャラ扱いされたが、事実は違う、体脂肪率は10%切ってます」「興梠選手ももっと体脂肪率低いはず」と、公開されたデータが誤りだ(日本代表の体脂肪測定が正確でなかった)にということを明らかにした点です。
しかも、吉田選手の所属するサウザンプトンでは、毎週体脂肪率を測っているので、もともとその点への意識も高いということでした。

私、これにはちょっと衝撃を受けました。
というのは、私たち弁護士は、固い証拠から真実を発見すること、また、メディアの情報などに踊らされないことを日常的に訓練されているのに、ハリルホジッチさんが提出したデータを疑うことなく、むしろ、「科学的だ!客観的だ!」などと言って感心・感動していたのです。
しかし、そのデータは正確ではないようで、ハリルホジッチさんはもしかしたら、その間違ったデータを一時的に信じてしまっていたかもしれないのです(この辺は、ご本人に聞いてみないと分からないのですが)。 

つまり、「データ」とか、「実験結果」というのは、一見非常に客観的・科学的な根拠だと思えますし、多くの場合非常に客観的・科学的な素晴らしい情報なのですが、だからこそ、人間は簡単にそれを信じたり、疑うことを忘れたりするので、それが誤っていた場合は、人に与える悪影響は非常に大きいということなのです。
データや、実験結果などは、その前提とした条件や、計測機材、計測環境、集計の際の人為的ファクターなどにより大きく左右される可能性が多々ある(たとえば、エクセルの計算式も、セルが1つ間違っていれば、全て壊れて大きく誤った数値が出るのと同じですね)のですが、結果として出された数字が、科学的・客観的という皮をかぶっているから、説得力があって、騙されてしまうわけですね。 

ここで、私は、刑事事件で時々問題になる、「科学的証拠の証拠力」の議論を思い出しました。
刑事事件の科学的証拠で代表的なものとしては、DNA鑑定結果などが挙げられます。たとえば、現場に残された血痕のDNA、被告人のDNAが一致した場合など、あまりにその結果がデータや数式で科学的・客観的に示されてしまいますので、非常に説得的なのです。
しかし、この世界は、「日本代表の監督ですら、正しくない体脂肪率のデータを手元に持っている場合だってある」という世界なのです。
ですので、DNA鑑定についても、たとえば、「現場にあった血痕」というのが、本当に現場にあったものなのかは分かりませんし、DNA鑑定のプロセスの中で実験材料が混ざってしまう可能性だってあるでしょう。
また、DNA鑑定の手法や法則自体が誤っている可能性も否定できません。
実際に、DNA鑑定で有罪とされた事案で、その後無罪の認定がされた事案だってあるのです。
足利事件(ウィキペディアでもある程度詳しい情報があります)がそれですが、この事件では、DNA鑑定の結果が信じられて有罪になったのですが、その後、新たなDNA鑑定は全く別の結論を提示しており、無罪となったのです。
最初のDNA鑑定を見た裁判官は、「絶対この人が犯人だ」と思ったのでしょう。 

一見科学的・客観的に見えるデータや統計などは、逆に、科学的・客観的に見えるからこそ、怖い、人間を誤らせることもあるということです。
サイバーメトリクスだって、いろいろな数値がもてはやされていますが、それが正しい根拠・前提に基づく正しい数値なのか、そこまで把握して論じている人は少ないでしょう。
あるいは、高校のサッカー部の先生が、体脂肪率を抜き打ちで測った結果、「牧野は体脂肪率が15%もあるから先発では試合には出さない」などと決めた場合、その体脂肪計が不安定なものであった場合、あるいは測定時の水分量の問題などにより、牧野くんはありもしない疑いにより選抜への道を断たれることになるのです。
これは悲劇ですね。 

そうすると、人間の「勘」あるいは「全体的・直接的観察(感覚)」に頼った判断というのも、基準として捨てがたいという考え方が出てきます。
サイバーメトリクスや数値によって将来有望な選手を見つけるよりも、昔ながらのスカウトのオジサンたちが、「あの選手はのびしろがある!」「体全体に躍動感がある!」などといった全体的観察と経験によりある意味で「テキトー」で「感覚」にたよった評価をする方がいいのではないかという議論もありうるわけです。
間違ったデータより、実体験で積み上げられた経験や感覚の集積で判断する「アナログな」方法の方が正しいことだってあり得るわけです。 

そうすると、結局のところ、どちらかが絶対に正しいというわけではなく、「アナログな」直接的・全体的観察と、「科学的な」データ・数値での分析の両方をバランスよく使っていくしかないということになりそうです。
そして、データ・数値による分析について言えば、科学的・客観的観点から、データ・数値による分析を高度化・精密化させていこうという意欲を持ちながらも、たえずそのデータ・数値の根拠や前提条件を精査するとともに、それを「公開」して「批判」にさらして検証していく必要があるのだと思います。
ハリルホジッチさんの上記の体脂肪率の誤りも、公開され、批判にさらされたからこそ明らかになったので、公開や批判はとても大切なのですね。
これは、法律家の世界でも同じことですね。 

ハリルホジッチさんの公開した体脂肪率に踊らされ、自分の未熟さを再確認するとともに、刑事訴訟法で習ってたけど、データってやっぱり怖いわ・・・と改めて(というか今までで一番)実感したという話でした。
でも、ハリルホジッチさんの科学的姿勢は、やっぱり大好きなんですけど。