ハドソン川の奇跡 We did our job
- 牧野誠司
- 寄り道コラム
トムハンクス主演の「ハドソン川の奇跡」は、2009年にニューヨークのハドソン川に不時着した飛行機の操縦士が、実はヒーローではなく、「不時着なんかしないで空港に戻れたんじゃないの?」という疑いをかけられた、という事件をテーマにした映画です。
弁護士としてこの映画を見ていて思ったのは、結局、真実というのは、パワーバランスの中で歪められることが多々あるものだし、それをちゃんと「正しい真実」に持って行くのは、結構大変なことなんだよね(だから弁護士の良し悪しで結構事件はどっちにも転ぶんだよね)ということです。
この事件では、航空会社や保険会社が、「事故の原因を操縦士のせいにした方が良い」という動機を持っていたから、事実認定がそういう方向で固められていった、というストーリーをメインにしています。
そして、その方向で真実が固められて(というか捏造されて)行くのを、最後の最後で主人公が、「ある視点」を指摘することでひっくり返す、というのが、映画としての大きな流れです。
ここで、この「ある視点」を主人公が思いつかなかったら、主人公である操縦士は「ヒーロー」じゃなくて「単なる迷惑な耄碌じいさん」になっていたから、怖い話ですね。
この操縦士は、副業では誇大広告じゃないのかというようなインターネットサイトを作っていたという点もちょこっと話として挿入されていたのですが、そういう「重大な争点と全く関係がないけれど、事件自体の印象を大きく変える事実」も引っ張り出されて真実の行方がコロコロと変わっていく様は、現実の裁判でもよく見る光景です。
実際、裁判官って、ほんとに簡単に「好み」とか「世間の風潮」とか、「誰が保守っぽく見えるか」とかで流されますし、裁判官が交代したとたんに事件の流れが変わるというのもよくあることです。
結局、弁護士としては、事件に関する情報をできるだけたくさんインプットし、それによって、事件の内容を具体的かつ詳細にイメージし、事件を決定づける「ある視点」をきちんと見つけ出して、それを裁判官に伝えられるかどうか、なんだろうなと思います。それをしないと、保険会社だとか、国だとか、大会社だとかが作り出す、パワーバランスの流れに負けちゃいますからね。
この映画は、以上のような観点でも面白かったですが、個人的には、それ以上に、主人公が、同僚に、「We did our job」っていうように誇らしげに語るシーンが良かったですね。
「俺らはちゃんと俺らの仕事をしたんだよ」っていうくらいのニュアンスのセリフなわけですが、あちらの国では、「job」というが、「仕事」という意味の他に、「義務、使命」という意味でも使われてまして、We did our job という場合は、「やるべきことをちゃんとやった」というニュアンスも含まれます。
ここで私が思ったのは、日本では、最近、「仕事は楽しむものだ」とか、「自分が楽しいと思えることを仕事にすべきだ」とかいうセリフがもてはやされているようになっていますよね。
このようなセリフがもてはやされることで、「嫌な仕事は無理にすべきではない」ということで、過労や過労死を防ぐような効果があることは素晴らしいことだと思いますし、本当に自分の「楽しいこと」が仕事にできれば最高だなとも思います。
でも、仕事っていうのは、やっぱり、「他人のお役に立つ」ことで他人からお金をいただくものなので、それと「自分が楽しいと思えること」が一致することは極めて稀ですし(自分の楽しいことをやっているのに他人からお金をもらおうというのは基本的には「厚かましい」話でしょう)、さらに言えば、「楽しくない仕事」をしている人を見下すような社会になっちゃったら最悪ですよね(家族のためにしんどい思いをして辛い仕事をしている人は、「頭の悪い」「分かっていない」人なのでしょうか?)。
仕事というのは、「楽しい」からやるのではなく、家族や自分の生活の糧を得るため、あるいは、社会の一員として役に立つためにする、「義務」であり、「使命(ミッション)」であって、楽しくなくても最良の仕事をせんといかんだろ、という方が、基本的には正しい考え方のように思います。
そして、そのように、仕事というのは「楽しいことじゃない」「基本的には他人のためのものだ(だから他人からお金をいただけるのだ)」ということをきちんと認識したうえで、だからこそ、人間には、「仕事以外の時間」「(他人のためではなく)自分のためだけの時間」が必要であって、過労はダメだよ、夜7時には家に帰れよ、年100日は休みを取れよ、という考え方が出てきて、ワークライフバランスが取れるようになるんだと思います。
結局は、そのあたりの思考の整理ができないままに、一部の(それこそ総人口の1%もいないくらいの)「好きなことをやってたまたま成功した人」が、「仕事は楽しいものだ」「楽しいことを仕事にしたらいいじゃない?」「なんで楽しいことを仕事にしないの?」なんてことを言って、その人の言葉をメディアなんかが有難がるから、休みを取ることがますます悪になって、仕事を楽しめない人がますます自己嫌悪になって、過労になったり鬱になったりするんですよね。
「仕事はしんどいもんだ」「仕事は使命だ」という、真っ当な、99%の人が当てはまる価値観を素直に受け入れて、「だから、仕事はちゃんとしないといけないけど、仕事ばっかりしているようではダメなんだ。休むことが大事なんだ。」というようにちゃんと考え方を整理して、仕事はしんどいけど頑張る、でも休みもしっかりとる、という区分けをしないといけないですよね。
私も、弁護士という仕事を、「やりがいのある仕事だ」とは思っていますが、めちゃくちゃしんどい仕事だと思っていますし、映画を見たり漫画を読んだりしているときや趣味程度にサッカーをしているときのように、「楽し~!」なんていう風には全く思えません(お医者さんが、患者のお腹を切って手術するのに、「楽し~!」とか言ってたらおかしいでしょ?)。
仕事中は、みんな大変ですよね?大変だけど、人のために、あるいは、使命だから頑張るんであって、それを、無理矢理楽しいなんて言うと、自分を鼓舞したりそれでポジティブになったりする分にはいいですが、社会全体が、サイボーグ・ロボット社会になっちゃいますよね(日本はすでにそうなったから、過労死などという現象が生じているのですが)。
We did our job, so let’s have a fun now! って言って、怒られない社会にしたいですよね。